3日目 山中渓から海南(その2)(平成26年5月4日)

しばらく歩くと和佐という地名。和歌山の和佐、なんか聞いたことあるなと思っていると旧中筋家住宅がありました。古い建物を見るのは好きなので、ちょっと寄ってみます。入場料を払うと、「案内しましょうか」といわれましたので、若い男性にマンツーマンで説明してもらいました。(説明してもらったのは、和歌山市からのボランティアの方でした)立派な古い建物を説明してもらった後、ちょっとした資料館に立ち寄ると、郷土の人として、和佐大八郎と松下幸之助の記述がありました。そう、ここ和佐は松下幸之助の生誕地なので、聞いたことあると感じたのです。意外な発見でした。昼も過ぎ、資料館にどこか食堂などありませんかと聞いてみましたが、無いとの答え。

31和佐王子

和佐(わさ)王子跡 ここに、座るところがあったので、手持ちの食料で休憩。














再び歩き、しばらくすると山道となり、少し古道らしい雰囲気となり、矢田峠越え。

32平緒王子

平緒(ひらお)王子跡 このあたりはのどかな街なみです。














33奈久智王子


奈久智王子(なくちおうじ) この王子は家の間のあぜ道をしばらく歩いた所にあります。王子も修理中のようです。ただ、シンプルな感じの王子です。ここから次の王子は離れています。



34松坂王子-海南市へ

松坂(まつさか)王子 この王子から海南市に入ります。海南市の案内は青い板ではありませんでした。どうやら、こういう歴史的な遺物は市町村単位で管理しているようです。こちらの王子はお地蔵さんのような感じです。



このあと、上り坂になり、汐見峠へ。和歌山に入って初めに海が見えるのでこの名前がついたそうです。

35松代王子

松代(まつしろ)王子 この王子は、鳥居があって、祠風です。














36菩提房王子

菩提房王子(ぼだいぼうおうじ)跡 案内板とともに、古い石碑(石?)がありました。










熊野一の鳥居跡 ここは、熊野の入り口という意味の鳥居があったところだそうです。3日歩いたのに、やっとスタート?









今日は、海南駅近くの宿で泊まります。8時頃山中渓の駅を出発して17時頃に到着しました。
本日の地図上の歩行距離距離32.5km

3日目 山中渓から海南(その1)(平成26年5月4日)


 前回から1年経ちました。本当は秋の連休あたりに行きたかったのですが、まだ暑かったり、用事があったりして行けませんでした。
今回からスマートフォンを持参。まだ購入して1週間ほどなので使い方が今ひとつわかりません。ただ、今までに迷った経験もあり、GPS機能に期待。
 再び山中渓駅よりスタート(時間を控えるのを忘れてしまいました)
 山中関所を通り、しばらく歩くと大阪と和歌山の府県境。





ここに日本最後の仇討ちの場がありました。碑を見てみると、最後の仇討ちは1863年、すなわち明治になる4年前におこなわれています。仇討ちの願いがでたので、紀州藩は渋々許可を出したようで、紀州の国境の境橋で行われたとのことです。国境は山の頂上ではなく、あれっと思うような小さな川でした。






25中山王子-和歌山県和歌山市へ

しばらく行くと、和歌山県初めの王子
中山(なかやま)王子跡 大阪の王子と異なり、青い板に案内が書かれています。説明によると、やはり明治時代に合祀された上、鉄道敷設によって旧跡も無くなったとのことです。残念。
集落を通って、また大きな道に戻っります。先ほどあれっと思ったとおり、和歌山県に入ったにもかかわらずしばらく登りが続きます。頂上までくると、今度は、こんなに登ったのかと思うくらい、下りが続きます。新道と旧道の分岐点を通過します。





26山口王子

山口(やまぐち)王子 今度は、案内板に加えてスタンプがおいてありました。(後からわかったのですが、スタンプを集めるスタンプ帳もあります。私が通ったところにほぼ沿ってありました。最初からわかっていれば、集めていたかも)地図に山口神社の文字があったので、参拝に。旅の無事を祈ります。ただ、王子の説明等はないので写真は撮らずに歩きます。参道をでて県道を通ります。この県道、2車線道路で,日本の普通の県道だと思いますが、すが、大変車が多いです。歩道はなく、路側帯も肩幅ほどしかありません。危なく大変歩きにくい所でした。交通ルール通り右側通行。車から離れているときは、わずかに路側帯を出て運転者に歩行者を意識してもらうように歩き,車が近づいたら端によけるよう歩くの繰り返し。車を運転する人にも申し訳なかったですが。歩行者にとってはある意味現在の難所の一つです。

27川辺王子

川辺(かわなべ)王子 車の多い道から曲がってしばらく行くとあります。今度は曲がり角が多くてちょっとした迷路を探検する感じです。













28中村王子

中村(なかむら)王子跡 今は田んぼになって看板のみあります。














力侍(りきし)神社で、川辺王子跡の石碑を発見。これも合祀されたのでしょうか。









29叶前王子

叶前王子跡(はんざきおうじ) ここも今は空き地の一角に案内板がありました。














しばらく歩くと布施屋(ほしや)という地名。昔は熊野詣をしている人に対して接待していたのがいわれのようです。「ふせ」と読まずに、「ほし」と読むのも興味深く、私は(ほどこし)を連想させ、この地域の人の温かさを感じさせる地名です。

30川端王子

川端(かわばた)王子は王子らしい王子です。

2日目 鳳から山中渓(その2)(平成25年5月6日)

19籾井王子(もみいおうじ)

その後、国道26号線付近のレストランで昼食をとり、再び歩きます。
籾井王子(もみいおうじ)の横を通ります。この王子は民家の敷地内にあるとのことです。見学は可能だとのことですが、気が引けましたので入らずに進みます。
14:00に樫井古戦場跡を通ります。ここで、豊臣と徳川の大坂夏の陣が始まったとのこと。いろいろな歴史も学ばせていただきます。









20厩戸王子-泉南市へ

泉南市に入り厩戸王子。ここは碑があるはずで、市岡神社の周りを探しましたがいくら探しても見つけることができませんでした。残念!GPSがほしいと思いました。
時間のロスもありましたが、気を取り直して歩いていると、古い街道の町並みが残っており、少し癒やされます。

21信達王子

15:06信達王子 この王子も、直前まで場所がわかりづらいのですが、案内地図にある信達王子の写真でこれか!と思うような王子です。鳥居はありません。お地蔵さんらしきものがまつられています。王子は、もともとは鳥居等はなく、お地蔵さんのようなものではないかと思ってしまいました。しかしもしこの推測が正しければ、神社とお地蔵さんはちょっと違うものと思いますので、それが合祀されてしまうことに違和感を感じます。私には印象深い王子です。
さらに歩いてのどかな田舎の風景、そして阪南市に入ります。

22長岡王子-阪南市へ

15:36長岡王子 和泉鳥取の駅のすぐ近くにあります。これも案内はありませんので、下調べしないと気づかずに通り過ぎそうです。
しばらく歩くと、地図にはないのに熊野古道の案内があったので行ってみることにします。
今までと異なり、土の道。しばらく行くと琵琶ヶ懸(びわががけ)ここは、紀州の殿様の参勤交代の道でもあったそうです。しかし、人一人が通れるかどうかで、私はとても怖くて通れません。舗装されている道へ引き返すことに。






23地蔵堂王子

16:04地蔵堂王子 公園の一角にひっそりとありました。さっき通った怖い所からすれば嘘のように、のどかです。













24馬目王子

16:21馬目王子 大阪から和歌山へ抜ける道のせいか、やや交通量が多いです。道の反対側へ慎重に渡るとありました。













16:50山中渓へ 石畳の道となり、しばらく歩くと神社がありました。ここは等ででもあり、次の駅まで明るい間にたどり着くのは無理と判断。今日の無事を感謝してお参りにいってみると、再び馬目王子社がありました。これも合祀されたということなのでしょうか?
本日の地図上の歩行距離40.7km

2日目 鳳から山中渓(その1)(平成25年5月6日)

 今日は早起きして、コンビニで食料を調達したあと、始発にのり、JRに乗り換え鳳へ。
6:45鳳駅を降り、商店街を通ってしばらく歩くと府道へいきます。このJR阪和線に沿った府道をしばらく歩くことになります。
 堺市から高石市へ、。高石市は古い住宅地を通るものの、王子は残念ながらありません。
次に、和泉市へ入ります。

10篠田王子(しのだおうじ)-和泉市へ

7:42篠田王子(しのだおうじ) 一時間ほど歩いて、少し細い路地を通って奥に今日最初の王子です。












11平松王子(ひらまつおうじ)

7:53平松王子 今度は近くにありました。
そして、またしても小栗街道の文字が。どうやら、熊野街道と小栗伝説というものがつながっているようです。(小栗伝説)












12井ノ口王子(いのくちおうじ)

8:32井ノ口王子 和泉市内はいずれも王子跡地に石碑を建てているようです。














13池田王子(いけだおうじ)-岸和田市へ

岸和田市に入ります。ここはだんじり祭で有名です。池田王子があったようですが、碑はないようです。

14淺宇川王子(あそかわおうじ)-貝塚市へ

貝塚市に入り、次の淺宇川王子(あそかわおうじ)も碑はありません。9:57三和製作所付近にあったとのことなので、写真だけ撮ります。







15鞍持王子


一里塚を通り、さらに次の正福寺付近にあったとされる鞍持王子(くらもちおうじ)も碑がありません。左記の和泉市と異なり、岸和田市、貝塚市に王子の後がほとんど残っていないのは残念なことです。







16近木王子(こぎおうじ)

11:13近木王子(こぎおうじ)跡の南近義神社へ。立派な神社です。案内板によると、元々吉野由来の神社であったが、明治時代に王子も、近所の神社も含めて合祀したとの説明があります。岸和田や貝塚の王子跡が残っていないような理由がわかった気がしましたが、なぜ由来の違うものを合祀したのか疑問が残ります。また、世界遺産の部分もある熊野古道。もう一度分祀して、王子を本来の形に戻すことはできないのでしょうか。






17鶴原王子(つるはらおうじ)-泉佐野市へ

泉佐野市に入り、まず鶴原王子(つるはらおうじ)があったようですが、碑がありません。

18佐野王子(さのおうじ)

12:11佐野王子(さのおうじ)跡 今度は、大きな碑がありました。