1日目 天満橋から鳳(平成25年5月5日)

1.天満橋の八軒屋





9:41ここからがスタートです。平安時代の頃は、京都の上皇が淀川を川で下り、この八軒屋で降りて歩き出したとのことです。

2.窪津王子(くぼつおうじ)


9:54 別名渡辺王子。渡辺(渡部、渡部)に関係がある所です。こことは少し離れていますが、私の会社の近くに大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺というところがあります。その前は渡辺町という所で、渡辺神社もあります。地名整理の時に、渡辺町がなくなる話となり、全国の渡辺さんが反対して、妥協点として4丁目渡辺になったそうです。









3.坂口王子(さかぐちおうじ)



10:21 私が熊野古道の王子を踏破しようと思ったきっかけとなった所に再び来ました。南大江公園の一角にあります。大阪の町中の公園に王子。私にとって不思議な存在。果たしてその謎が解明できるのでしょうか。案内板をみると、
朝日神明社跡(坂口王子伝承地)とあります。王子は、神社なのか?どんどん謎か深まります。



4.郡戸王子(こうとおうじ)



 11:04 熊野古道から少し離れた高津宮神社の中に、推定値の石碑があります。高津(こうづ)宮神社は立派な神社です。読みも近いことですし、王子は、やはり神社かと思いつつ、次へ行きます。





5.上野王子(うえのおうじ)



 11:29 この王子も熊野古道から少し離
れています。行ってみてびっくり。何と上宮ハイツという集合住宅の入り口の軒下に石碑がありました。
それにしてもここは案内板もなく、ちょっとした宝探しのような旅になってきました。




6.阿倍王子(あべおうじ)



 12:31 阿倍王子神社に到着。阿部野橋駅はよく通りかかるのですが、その地名の由来は、どうやらここな
のでしょう。はじめて知りました。
 案内板をみると、この神社が仁徳天皇もしくは阿部氏の創建で、その後、熊野詣でが盛んになった平安時代の頃から王子と称せられるようになったとあります。
 この看板をみて、私は考えました。どうやら、王子は太古の昔からあったものではなく、熊野詣でが盛んになった時に付近に神社があれば、新たに指定されたものである。ただ、大阪市内は古い街で昔から神社はあるだろうが、だんだんと山の中も入るだろう。その場合はどうなるのか?また、上野王子の場合、神社が昔あり、今現在移転したのかもしれないけれども、神社はそもそも移転
することがあるのか?上野王子は一等地だから特別なのか?まだまだ謎が深まります。
 この神社の近くに安倍晴明神社もあったので、少しのぞいて行きました。








7.津守王子(つもりおうじ)・・・大阪市から堺市へ

それから、大阪の下町を歩きます。チンチン電車の線路の横も通りながら。
 次の津守王子(つもりおうじ)は碑がないということで通過。
 やっと大阪市が終わります。大阪市がこんなに広いとは思いませんでした。
大和川に架かった橋を渡って堺市へ。
堺市へ渡ったのに、大阪と同じ「遠里小野(おりおの)」という地名に気づく。
そういえば、大和川は江戸時代に大工事の末付け替えられ、大阪と堺の間を通ることとなったと聞いたことがあります。遠里小野という地域は、たぶんそのときに分断されてしまったのでしょう。

8.境王子(さかいおうじ)


14:07 今は「堺」ですが、昔は境だったのでしょう。
 写真だけ撮ってしばらく歩き、方違神社の前を通ります。
 方違神社の案内板をみると、ここは摂津、和泉、河内の3国の境で、いずれの地にも属さず、方位のない地とのこと。おもしろいです。ということは、境(堺)の名前の由来は、3国の境目であるということになるのでしょう。堺には三国という地名もありますし。
歩いていると、普段気づかないことが発見できます。


 方違神社の近くのそば屋さんで遅い昼食を取り、再び歩き始めます。
 少し道に迷った後、仁徳天皇陵の前を通り、直角に曲がります。直角に曲がる理由はよくわかりませんが、地図ではそうなっているので仕方ありません。恐らく、このあたりは熊野街道の位置が今ではよくわからないところなのでしょう。堺は、戦国時代、自治国家であったといいますし、その頃に道が随分変わってしまったのかもしれません。
 再び直角に曲がり、しばらく歩くと「小栗街道」の看板が出てきました。熊野街道、紀州街道ならわかるのですが、小栗街道とは?地元の有名な人の名前なのでしょうか?(小栗の意味、これは後にわかったので説明します。)
病院で車のたくさん通る通りから少し曲がり、しばらくすると線香工場を発見。堺はやはり歴史の深い街と実感します。

9.大鳥居前王子(おおとりいまえおうじ)

夕方に大鳥神社に着きました。ここに大鳥居前王子(おおとりいまえおうじ)があったようですが、碑はないようです。神社に着いたので、休憩がてら、ガラパゴス携帯の通信モードで宿を探します。しかし鳳付近ではなかなか見つけられず、そのうち神職さんにそろそろ門を閉めますよといわれ、神社を後にします。鳳駅17:00で本日は終了し、宿は堺東駅の近くに取りました。
 自分の予想では1日で和泉市くらいはいけると思っていたのに、王子が街道から離れているところがあったのと、少し道に迷ってしまい、残念。明日は早起きしてできるだけ歩くことにします。
 本日の地図上の歩行距離24.0km

熊野古道と九十九王子

 このブログは、熊野九十九王子が何なのか?という疑問を持ち、歩いた旅をまとめたものです。
旅を終えた今でも「王子」とは何かを伝えるのは難しいのですが、大阪市内から那智まで延べ約270km、10日間で見て、感じたことをまとめました。

熊野九十九王子(大阪府ホームページより引用)
【歩行行程】

 1日目 天満橋から鳳

 2日目 鳳から山中渓(その1)

 2日目 鳳から山中渓(その2)

 3日目 山中渓から海南(その1)

 3日目 山中渓から海南(その2)

 4日目 海南から湯浅(その1)

 4日目 海南から湯浅(その2)

 5日目 湯浅から御坊(その1)

 5日目 湯浅から御坊(その2)

 6日目 御坊から田辺(その1)

 6日目 御坊から田辺(その2)

 7日目 田辺から近露(その1)

 7日目 田辺から近露(その2)

 8日目 近露から熊野本宮(その1)

 8日目 近露から熊野本宮(その2)

 9日目 川舟下り・熊野速玉・神倉神社

10日目 新宮から熊野那智

【熊野古道沿いの市町村へのふるさと納税】

ふるさと納税

【きっかけ】

 私が熊野古道を歩こうと思ったきっかけは、大阪市中央区の谷町にある「坂口王子」の前を偶然通りかかったからです。
 平成24年5月に、私は暗峠奈良街道を歩きました。これは、前年の東日本大震災の後、関東の人から電車が動かなくなり、帰宅難民になったと聞いたので、これは一度会社から家まで歩いてみないといけないな、ただ、どうせだったら目的があった方がいいだろうと思って、暗峠奈良街道を選択しました。
 暗峠奈良街道と熊野古道は、最初の数kmは同じ道です。
 歩いていると、「坂口王子」というところを通りかかったので、少し寄ってみることにしました。 
この王子というものが、大阪から、熊野古道沿いに和歌山南部の熊野まであるという説明が書かれていました。
 王子の存在は、そういえば聞いたことがありました。
 私の仕事先に、和歌山の田辺市(旧大塔村)にある会社があるのですが、その社長が熊野古道のことを話していたことを思い出したのです。会社の前が熊野古道であり、目印にされていること。また、社長の話の中で王子の名前も2カ所くらいでてたような記憶がよみがえりました。
 しかし、大阪からその会社へ行くのに、特急に乗っても3時間もかかるのです。
 大阪から熊野までずっと王子がある。また、王子とは何か?神社とは違うのか?
 いつかはこの疑問を解決したい。また、全ての王子を歩いて尋ねてみたい。
 そう思って坂口王子を後にしたのでした。そして、暗峠奈良街道を踏破しました。
 熊野古道は、暗峠奈良街道よりもはるかに長いので、チャレンジするか少し迷いました。長距離であるが故に歩いている間にあきてこないかなとも思っていました。しかし、一方でやってみたいという思いもずっとありました。モヤモヤしたままならば、少しずつでも進めようと思い、チャレンジを始めたのです。